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2008年 05月 01日
肉体で書いた小説のような映画だ。
日本語なので、とくにそう感じたんだと思う。 香川照之の兄の卑屈さと、オダギリジョーの弟の卑劣さが、地味な物語から目を離させない。 卑しさは、人の常。 そう受け入れて、人間を見れば、愛の幅も広がるのかもな。 とっとと死んでしまう、真木よう子の、ATG的リアリティもよかった。この人、いい女優だ。 「ゆれる」は、言うまでもなく兄弟の関係についての映画だ。あるいは、家族の関係についての映画。兄と弟、父と息子、父とその兄は、表に裏に確執があり、関係はねじれているが、でも似ている。 食事をするシーンや、眠るシーンで、兄弟や親子の似たところが、ていねいに提示される。ご飯の食べ方や、いびきのかき方が、似ているのだ。 細やかだが、分かりやすい演出だ。 その一方で、死んだ女たちに対しては、やや淡白な気がした。 この映画では、2人の女が死んでいる。 物語がはじまる前に、稔と猛の母が死ぬ。そして前半で、智恵子が死ぬ。 母については、ほとんど語られることがない。智恵子についても、生前どんな女だったのか裁判で追求されることはない。 寝た女が死んだら、男はどう感じるだろうか。 しかもその女が、自分を好きだったのを知っていたら。 そして、自分はそれほど、その女を好きではなかったとしたら。 そしたら、かわすだろうな。逃げるというか。 自分にとっては重要なことではない、という態度をとるだろう。 生きていくのは自分だ。死んだ人間の物語は終わっている。 オダギリジョーが演じる猛がシャワールームで吐くシーンがある。死んだ女のことを思い出して、吐く。 あれは自責の念、というやつだ。 だって、あの女が死んだのは、猛にとって都合のいいことだったのだ。 でも、あれで終わり。 あとは、生きている、兄と自分のことに集中する。 猛はタフだ。 タフというのは、鈍いということでもある。 実用的な鈍さを身につけている、と言うべきか。 私は「タイタニック」が好きなのだが、それはひとつには、女が海に沈んだ恋人のことは海に残したまま、自分はタフに生きていくという潔さに共感したからだ。 生きている人間は、生きている人間同士のことで、一生懸命やっていく方が正しい気がする。 でも、兄の稔はどうだったのだろう。 稔には考える時間がありすぎる。 映画には一回も出て来ないが、稔は拘置所で寝起きしているはずだ。独房なのか雑居房なのか分からないが、稔の性格からして、そんなところで仲間と楽しく過ごしているとは考えられない。 自分と弟の関係を考える時間もたっぷりあっただろうが、死んだ女のことを考える時間もたっぷりあっただろう。 稔は自分の気持ちは表に出さない。弱気な笑顔と、極端なまでにひたすら謝る姿勢で、武装している。 たぶん、智恵子を一番愛していたのは、稔だった。智恵子の母親以上だったかもしれない。 でもその気持ちも、彼は表に出さない。 稔は男らしくない。 吊り橋も怖くて渡れない。 男らしくないというのは、男にとってはつらいことだ。コンプレックスを抱く。 稔がいい人なのは、誰が見ても分かる。 だけど、コンプレックスは、人をうんざりさせる。 「触らないでよ!」と智恵子が言ったのは、そのせいだ。 その言葉は、稔の最も触れられたくない部分を傷つけた。 あんたはあんたの弟みたいにカッコよくないんだから。あたしが好きなのはあんたみたいのなんかじゃないんだから。触んないでよ。 事件の経緯はどうあれ、間違いなく、殺意はあった。 兄弟は、それぞれの理由で、女に、死んでもらったわけだ。 そして、生きているもの同士の調整をはかる。 死んだ女は、忘れられる。 憧れや、愛情や、性欲や、夢や、後悔や、罪悪感とともに。 それは、智恵子が望んだことではないのだが。
by denkihanabi
| 2008-05-01 02:00
| 映画ネタ
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