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2007年 08月 16日
アーシア・アルジェントってカッコいいなあ。いい女だしエキセントリックだし。ダリオ・アルジェントの娘だが、今やそんな肩書きを必要としない存在感がある。
劇中登場する、お腹の天使のタトゥーは本物らしい。手の目はどうなんだろうか?どう見ても本当に妊娠しているようだったが、だとしたら、妊娠しているのをねらってキャスティングしたのか、キャスティングしてから妊娠が分かって主人公は妊婦っていう設定に変えたのか、どっちなんだろう? 「愛より強い旅」のトニー・ガトリフ監督の新作で、確かにトニー・ガトリフ映画なのだが、一方でアーシア・アルジェントの存在感も凄まじく、がっぷり四つといった印象の濃く熱い映画だった。 アーシアにはぜひ、デヴィッド・リンチの映画に出てもらいたい。 [ヤバいくらいネタバレてます] アーシア演じるヒロインのジンガリナ(こんな名前聞いたことない)は、恋人のロマのミュージシャン、ミランを追ってフランスからルーマニアのトランシルヴァニアにやって来る。ジンガリナは村の酒場で出会った男チャンガロに「愛を探しに来た」と言う。だが、再会したミランは冷たくジンガリナあっさりと失恋。妊娠してるのに捨てられて、悲嘆にくれる。 この悲嘆にくれまくり方がすごい。村の祭りの中をふらふらと彷徨い絶叫する。酒場でロマの音楽に合わせて踊りながら、次々と皿を割っていく(こんなことやっていい店があったらやってみたい)。親身になってくれている親友のマリーを置き去りにして、ジプシーの子供と一緒にどこかに行ってしまう。さらには拾ってくれたチャンガロの車から、飛び降りるように降りて、森の中を走り、叫び、転がり、「悪魔が・・・」とかなんとか言いながら失神する。 蜷川幸雄の舞台で「ああ、なんて不幸な女!」って絶叫してた大竹しのぶを思い出した。 でも、アーシア・アルジェントの演技は、いかにも悲劇的な古典的演技っていうものではなくて、本当にこいつぶっ壊れ女なんだなって、リアルに感じさせるヤバいものだった。 なんて自分本位なわがままな悲しみかた。こんな自己チューな悲しみかたは、美人かアーティストにしか許されない。だが、アーシア・アルジェントは、美人でアーティストなのだ。 ジンガリナがブスだったら、チャンガロは森に逃げた女を追わなかっただろう。これだけ、自分のために悲しめるやつは、幸せなんじゃないだろうか。 ところが、妊娠と恋人に捨てられたことで、彼女はぶっ壊れた。でも、自殺するには強すぎる命を持った女だ。 ここで彼女が出会うのが、同じくらい自分勝手な男、チャンガロだ。チャンガロはなんでジンガリナに惹かれたんだろう?そして捨てなかったんだろう?惹かれたのは美人だから?捨てなかったのは自分と近いものを感じてたから?いやいやもちろん、そんな理由、考えるまでもない。ジンガリナが夢の女だったからだ。 チャンガロとジンガリナは、「パリ、テキサス」のトラヴィスとジェーンだ。 夢の女は実在する。 ロードムービーってお気楽でいいなあ、と思うことがある。映画づくりは旅に似ていると、フランソワ・トリュフォーが言っていた。 ジンガリナとチャンガロがボクシングごっこをするシーンは、絶対即興だ。シナリオにはなかったはずだ。アーシア・アルジェントがボクシングの心得があることが分かったので、羽毛まくらを用意して撮ったのだ。そうに決まっている。 そういう、前後の関連なんか気にしないシーンが、登場人物を魅力的にする。 映画を作るのに2年かかったとする。映画を見るのは2時間だ。8,760時間対2時間だ。でも、人生の中のある時間を旅した体験、という意味では共通するものがある。同じ方向を向いて、体験している。あるいは、同じ風景を見て人生を減らしている。 ロードムービーが魅力的なのは、そのためだ。 ラストについて書く。 赤ん坊とまどろみながら、ベッドで帰って来たチャンガロを見るジンガリナの笑顔で映画は終わる。 チャンガロは、その少し前に酒場で飲みながら、ジンガリナが去ってしまう白日夢を見ていた。だが、ジンガリナは待っていて、チャンガロに微笑んだ。チャンガロもジンガリナも、自分自身の旅を生きている人間だ。2人が一緒にいるためには、そして3人めの命を育てるには、誰かが自分の旅を降りなければならない。 「パリ、テキサス」のトラヴィスは、自分の旅を降りなかった。私は「トランシルヴァニア」のエンディングの方が好きだ。 この2人、ずっと一緒にいたら、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」の 、スペインの反政府ゲリラの親分とその肝っ玉かみさんみたいになりそうな気がする。なんか、「カッコいい愛の成りの果ての悲哀」を感じるんだよね。あれには。そんなんになるなら、まあなってくれてもいいけど、それも人生だし、でも、とっとと別れて自分の旅を続けて欲しい気がする。 ジンガリナが出産するときに、チャンガロは目を閉じてそばにいられない。男にとって女の出産は恐怖なのだ。私はかみさんの出産に立ち会ったので、なんだよ、手、握ってやれよとか思ったけど、まあ、産まれてくんの自分の子供じゃないしなこの話の場合。ミランのだし。でも、チャンガロにとっては、産まれてくる赤ん坊が自分の子かどうかってのは重要な問題ではなかったように見えた。ある意味、男にとっては産まれてくる子供は、それが誰の精子のDNAをひいていようが、自分の女と、自分の自由を奪う、他者なのである。 チャンガロを演じた、ビルロ・ユーネルという男優もまた存在感があった。どっかで見たことがあるような気がしたが、それは間違いだったらしい。クストリッツアの映画に出てきそうなやつなのだ。この映画ではトニー・ガトリフの分身だ。イタリアの悪魔の娘アーシアと渡り合う役目を監督に担わされた男優だ。 ばっちり渡り合い、ばっちり負けてみせた。すばらしい。 アーシアの最後の微笑みは、あまりにも無垢で、そんなのありかよって感じだ。 おまえ、誰だよ。 たぶんこの映画は、アーシア・アルジェントの、ライフ・タイム・ベストの一本になるだろう。
by denkihanabi
| 2007-08-16 02:22
| 映画ネタ
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