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2006年 03月 30日
「サマリア」のキム・ギドクの映画。
これを「好き」と言い切ってしまうことは、なんかすごくやばい。暗くて、ロマンチックすぎて、真剣で、恥ずかしいのだ。 「サマリア」同様、作品を貫く考え方には共感できないところがありながら、その強さには魅了される。そんな映画だ。 ハンギを演じたチョ・ジェヒョンという俳優がいなければ、この映画は成立しなかったかもしれない。ダウンタウンの松本に似た迫力のある顔をしている。松本が無口だったら恐いだろうな。 ハンギが喋らないということが、この映画が提示する登場人物たちの心の様を強靱にしている。ハンギのギラギラした目つきや突発的にガラスを割ったりするアクションが、ハンギだけでなく他の登場人物の心の動きまでを剥き出しにしてくる。 私は、フィルムには心は写らない、と思っている。フィルムに写るのは姿や表情や仕種だけだ。でも、この映画では主人公が喋らないということで、まるで心が熱を持ってフィルムに焼き付いているような錯覚を起こさせる。逆説的だが、言葉を使わないことで、内面を剥き出しにしている。 北野武の映画に少し似ているが、温度が大きく違う。 インタビューで監督は、ハンギが喋らないのは暴力だけの世界で生きてきて喉を切られたことがあるからだと説明していたが、私は見ている間、この男は何か生まれついての障害があるんだと思っていた。身体にか、頭にかは分からないが。 すぐ泣いたり叫んだりやさしげに微笑んだりする、いわゆる韓流の映画やドラマと違って、「悪い男」に充満している感情は極度に抑圧された怒りだ。自分が欲するものを手に入れる道が、あらかじめ断たれていると致命的に思いこんでしまっている人間の、怒り。その怒りは、自分自身に社会に愛情を感じた対象に、向かう。とてつもなく屈折した形で。 最初に強引なキスをしたあとは、ハンギのやることと言ったら、愛する女が他の男に抱かれるのをマジックミラー越しに覗き見て、間接的に犯すだけだ。それをみて興奮してオナニーをするわけでもない。 ハンギはインポテンツなのかと思ったら、他の女とはセックスをしている。 だが惚れた女ソナには、そっと手に触れたりしかできない。 汚れたヤクザの自分には手を出すことができない清らかな別世界の女。その女に触れるには、その女を汚さなくてはならない。だが汚しても汚しても女は美しい。ハンギは絶望しても死ぬことさえできず、最後まで女を間接的にしか抱くことができない愛し方を選ぶしかない。 という流れなのだが、でもハンギの執念深さと屈折の深さは、それだけでは説明できないものがある。もしハンギがエレファントマンのような醜悪な外見だったら、納得もいく。でも、ハンギはカッコいい。ハンギとソナが並んだら美女と野獣だが、でも美しいカップルにも見えるだろう。 なぜそこまで、屈折するのか。 主人公は、なにか圧倒的な劣等感を持っているが、見た目上はカッコいい男だ。これがエレファントマンだったり顔に火傷の後のあるファントムだったり文字通り野獣だったりしたら、観客は安心するだろう。あのルックスじゃ無理だよね。ああ切ない、でも自分とは違う身体的問題を持った人間の話だよね、と思える。 ところが、ハンギは見た目上普通の男だ。観客は、ハンギの純粋で絶望的で邪悪な愛情が、自分の中にもあるのを見せつけられる。暴力的でストーカー的な、でも実はピュアな気持ち。 ハッピーでないがゆえに、ますます高まってしまう残酷な愛情。 考えてみたら、ハンギのやっていることは「オペラ座の怪人」に似ている。小鳥を閉じこめるのは、オペラ座ではなく売春宿だけれど。 もちろんこれは映画で、その屈折はハンギではなく監督/脚本のキム・ギドクのものだ。この人は、どろどろと出口を失って内面で熱を発しながら腐敗していく感情を舐めて味わうのが好きらしい。 「サマリア」のお父さんも、娘への愛情を言葉にできず、娘が売春した相手を殴って回るのだった。ハンギに似ている。 特に、娼婦として働くことを受け入れてしまった時期のピンクや水色の衣装がきれいだった。 あのような売春横丁がソウルに実在するのかどうか知らないが、あの奇妙な美しさはファンタジーだろう。砂浜の写真のエピソードが描かれてから、映画はファンタジー度を高めていく。 2人が砂浜に着いたとき、2人の目の前で入水自殺した女は、ソナの過去なのか、それともハンギの夢の女が共に生きる女の身代わりに死んだのか?海に沈む女を見る2人の視線が微妙にずれているのが気になるシーンだった。 君は夢の女だ、と言われるのは女性にとってうれしいことだろう。でも、夢の女を現実の女に見てしまう男は、実はひどく迷惑なヤツである。 ハンギが愛した清らかな女が女子大生でまだよかった。愛の対象が小学生だったらものすごくつらい映画になってしまうところだった。でも、そういう人も現実にはいるわけで。 自分が心の中で作り上げた夢の女を、現実の女に当てはめようとするのは、ほとんど犯罪だ。それでも夢の女を愛し続けたい男は、映画でも作るしかない。
by denkihanabi
| 2006-03-30 22:19
| 映画ネタ
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