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2006年 02月 12日
マフィア映画みたいだと思った。
家族と金と殺し。ほらマフィア映画だ。 ただし描かれているのは、イタリア人ファミリーの抗争ではなく、イスラエルとパレスチナ人の抗争なのだが。 日本に住んでいると、国というのは基本的に平和で安定した長い歴史のあるものだと思いがちだが、そうとも限らないらしい。もしかしたら国というのは、巨大なやくざの一家のようなものなのかもしれない。 マフィアのファミリーは、全員自分がやくざだと自覚している。でも、国民はそうではない。平和に暮らしているつもりが、突然抗争に巻き込まれたり、殺しに駆り出されたりするのだ。 こういう見方もできる。 これは特殊な仕事についた個人についての映画だ。 主人公のアヴナーは、マフィアのように金や権力欲で動く人間ではない。組織に忠実な仕事人間だ。家族を愛しているが、海外での仕事を命じられれば家族と遠く離れた場所で働くことになるのも、当然のこととして受け入れる。危険な国への海外赴任を命じられた日本の商社マンのようなものだ。 ただ、彼の仕事はモサドの工作員で、仕事は暗殺だった。 テロと戦争の時代にイスラエルのテロリストについての映画をユダヤ人の娯楽映画作家スピルバーグが撮った。見る前に、この映画のことを知ったとき、まずそのことが驚きだった。確かに前作「宇宙戦争」は、厭世的な反戦映画になっていたが、まさかこの時代にスピルバーグがストレートにテロをテーマにするとは。 だが実際に見てみると、「テロの映画」という印象ではない。確かにテロリストたちの行動がスリリングに描かれ、爆弾が生々しく肉体を吹き飛ばし、マシンガンが血飛沫を散らし、多くの人が死ぬ。中東の国際情勢が背景にあり、CIAやKGBやモサドが暗躍する。 でもこの映画を見て感じる印象は、最初に書いたようなことだ。 個人と、個人の家族と、個人が属する組織と、国家あるいは民族の関係が、いくつか重なったときに生み出してしまう、暴力と恐怖についての映画。 そんな風に感じたのは、この映画とこの映画の脚本が世界を俯瞰的に見ることなく、個人のいる空間から見ようとしているからだろう。アヴナーが仲間に料理をふるまいながら暗殺の計画を話す部屋や、何度も印象的に繰り返される待ち伏せの車や、妻と一緒にミュンヘンの事件をテレビで見る故郷の部屋の中から、私たちは個人が世界と否応なく暴力的につながっていることを感じる。 アヴナーがパリの街角で夢見るように見つめていたのは、明るくモダンなキッチンのショーウィンドーだった。陰りのない幸せな部屋。しかし、あれは現実のものではない。イメージだけの広告だ。 「私は家族を守るために働いている。君も君の家族のために仕事をしているんだろう」ここでいう「君の家族」とは妻と娘のことではない。イスラエルのことだ。そしてこうも言う。「君が私の息子だったらとさえ思うよ。だが、違う。君は家族ではない。」 フランス人ルイの“粋な計らい”で、アヴナーとその仲間は宿敵のパレスチナ人テロリストたちと、同じ部屋に一晩寝泊まりすることになる。 自分がイスラエル人であることを隠し、アヴナーは若いパレスチナ人と話す。ドイツ人をのふりをしてアヴナーは問いかける「(イスラエルの)あんな荒涼とした土地に、本当に住みたいと思っているのか?」と。だがパレスチナの若者の意志は明解で強固だ。 「私たちは国を持ちたい」 国を持つということは、民族という大家族が家を持つということなのか。 個人が愛情を持って関係できる人間には限りがある。せいぜい食卓を囲める程度の人数までだ。どんなに大きな食卓にも、限界はある。 誰もが暖かい食事をしたい。だが、食卓に座りきれない他者は排除しなければならない。 そのことが、暴力と報復と恐怖の連鎖を生むのか? そして、繰り返される連鎖は、小さな幸せな家庭をもひとつひとつ破壊していき、さらに強くねじれていく。 憂鬱な映画である。よくできたサスペンススリラーなのに、面白いという言葉が似合わない。 映像のトーンもわざと古くさくしているのだろう。どこか青っぽくて荒れた印象の絵だ。でも、細部の演出の鮮やかさは往年の巨匠を上回っているのではないか。床にこぼれたミルクの中の薬莢を拾おうとしたとき、撃たれた男の血が白いミルクに赤く広がってくるというカットの色とタイミングの見事さなど、鳥肌ものだ。電話爆弾の一連のシークエンスや、ホテルのベランダのやりとりが生み出すサスペンスなどは、ほんとこの人は名人だな、と思わせる。 それに、繰り返しになるが、政治的サスペンスに家族というテーマで貫いたところが、やはりスピルバーグならではだと思う。だが、そのテーマは甘さにはつながっていない。むしろ、底なしに苦い。 雑誌で読んだのだが、スピルバーグはこんなプロジェクトを立ち上げようとしているらしい。 250台のビデオカメラとプレーヤーを、125台ずつ、イスラエルとパレスチナの子どもたちに与えて、それぞれ自分たちの暮らしを撮ってもらう。そして、そのビデオ作品をイスラエルとパレスチナで交換する。こうすれば、イスラエル人もパレスチナ人も、さほど人間として違うわけではないことが分かるだろう、とスピルバーグは言っている。 面白いアイディアだと思う。効果があるといい。
by denkihanabi
| 2006-02-12 03:03
| 映画ネタ
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