カテゴリ
検索
以前の記事
フォロー中のブログ
映画・読書日記 レモ茶のお絵かき日記。 とりあえずどこかに シネマ親父の“日々是妄言” 嘆息熱気球(アーカイブ) 2+2=5 まいにち酒飲み *- Petit sou... the borderland befounddead 映画の心理プロファイル tropicalia ■■■ another unti... ◎ ○ O o 。_ 。... ::: C_i_N_E_... かたすみの映画小屋 酒の日々、薔薇の日々、本... t r a v e l ... シネマの手帖 僻眼から見た景色 スキマワード(ズ)/ni... keep going メカpanda乗りのメデ... conta備忘録 finn. ちょびまめにっき 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2004年 11月 09日
20年前に見たときは、こんな映画だと気が付いていなかった。
私は頭が悪かった。 今まで考えてもみなかったが、この映画、原作があるのかもしれない。ストーリーだけを追ってみると、タランティーノが脚本を書きトニー・スコットが監督した「トゥルー・ロマンス」みたいなクライム・ロマンス・ムービーだ。 つまりステレオ・タイプな娯楽作品のストーリーをベースにしているのだ。 だとすると、これほどまでにバラバラにされた原作も珍しいだろう。 物語の感情的なつながりを分解して、全く別の論理的思考に沿って再構築して映画化する。そんなことをこの映画はやっている。 面白い。 そのアイディアや方法論は面白いが、そんなことをする意味があるのだろうか?インテリのお遊びなんじゃないか? でも、人生に意味がなければ、映画にも愛にも意味がない。 では、人生に意味があるならば、映画にも愛にも意味があるということ。 つまり、面白ければやる価値はあるのだ。 これだけ複雑な構成の、あらゆる思索的「引用」がちりばめられた映画でありながら、男と女のについての物語であるのがフランスだな。結局主人公の行動の動機は「愛」であり、それはとても不確かなものだが、明らかに存在しているらしい。 しかも、ややこしいことを言い続けながら、男と女のキャラクターが「男は論理的、女は直感的」と極めて明解に分けられているのが面白い。この映画の頃はゴダールはアンナ・カリーナと結婚していたわけで、理論派ゴダールはこの女優兼女房の感情というやつに、相当苦労させられていたのだろう。 アンナ・カリーナの美しくずるい、嘘つき女ぶりが素晴らしい。女は感情で動くが、その感情が本当かどうかは実は本人にも分からない。あるいは、本当だったかどうか、なんて検証することに興味がないのだ。 彼女がいい天気だと言えば、いい天気なのである。他にどう考えればいい? ところで、これはベトナム戦争真っただ中の時代の作品だ。イラク戦争(と、呼んでしまおう)真っただ中の今、世界の状況は40年前とほとんど変わっていないような印象を受けた。 もうひとつ。 さっき調べて知ったのだが、この「気狂いピエロ」を撮った1965年、ゴダールはこれを含めて4本の映画を公開している。すごいペースだ。テレビの時代が来る直前、まだ人々が映画を見ていた頃だから、このくらいは普通だったのだろうか? たくさん作ることで生まれる勢いというのは、確かにあって、かなり大切なことだ。
by denkihanabi
| 2004-11-09 03:11
| 映画ネタ
|
ファン申請 |
||