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2006年 09月 19日
なるほど、これはすごい。
20代のときに2回くらい見たことがあったが、いくつかのシーンを覚えているだけだった。「世界のミゾグチの名作」という先入観が強くて、自分の目で見れていなかった。 20年ぶりにニュープリントで見ることができたのはラッキーだ。 世界中の映像作家が影響されたというのも、むりはない。1953年の映画だが、今見ても美しい。 1 「雨月物語」のストーリーは、簡単に書くとこんなものだ。 戦国時代、百姓をしながら焼き物を焼いてつつましく暮らしている兄弟とその家族がいた。だが戦争とそれに伴うにわかな好景気で兄弟は欲と功名心に目がくらんでしまう。兄は自分の焼き物の値が突然跳ね上がり商売で頭がいっぱいになり、弟は侍になって出世するという夢に取り憑かれる。妻たちは心配するが、男たちは耳を貸さない。 大きな市が立つ街に兄弟は舟で出かける。だが、戦乱の中家族はばらばらになってしまう。弟は侍になるという夢を叶えるが、その妻は侍たちに強姦されて娼婦に身を落とす。兄は焼き物の才に惚れ込んでくれた女に溺れるが、その女は幽霊で命を落としそうになる。そして幽霊との逢瀬にうつつを抜かしていた間に、妻は子供を守って落ち武者に殺されてしまう。 目が覚めた兄弟たちは自分の村に帰り、本来の生活に戻るが、もっとも良識的だった兄の妻はもういない。 一応、物語は、つつましい暮らしに主人公が戻ったところで終わる。ごていねいに、死んだ妻宮木が彼らを見守っていますよっていう田中絹代のナレーションで映画は幕を閉じるのだが。 でもね、つつましい、ふつうの、ほんらいの、くらしが大切、っていうテーマをいくらストーリーが語っても。 映像は違うことを見せている。 映画が見せる美は、まったくつつましくない。グラマラスだ。 私は溝口健二は生まれが金持ちだなんだと思った。 いかに庶民のモラルをテーマに据えても、映像はゴージャスなのだ。 例えば何度も象徴的に登場する、着物だ。農家の妻には不相応で、死者である姫にはあまりにも似合いすぎる着物は、白黒の映画では分からないがおそらくすばらしくきらびやかな色と輝きのはずで、私は見識がないがあれは、相当いい着物を使っているはずだ。そういうものはごまかしがきかない。 あるいは、あの有名な湖を行く舟のシーンだ。あれはセットだ。スタジオに大きな池を作っている。そしてあの霧。絶妙に舟に絡み付く霧。今ならCGで描いてしまうところだが、当時は実写だ。あれはどうやったんだろう。テストにかなりの時間をかけているはずだ。おそらく、溝口健二の、そして撮影の宮川一夫の撮る絵に偶然はない。あの、水面を這う霧はドライアイスで出したのだろうが、あの絵が撮れるまで何時間かかったんだろう。 そして、若狭様の屋敷の精巧な美しさ、そしてその屋敷が焼け跡となったシーンの正しく虚無感のあるセット、さらには、霊となって夫の帰りを迎えた田中絹代演じる妻が針仕事をする部屋に戸口の隙間から差し込んでくる朝日の見事なタイミングと完璧な光線。 スタンリー・キューブリックや、リドリー・スコットの映画の話をしているのではない。53年前の日本映画の話をしているのだ。 溝口健二のこの映画は、まったくつつましくない。ゴージャスで耽美的だ。 だから、私は監督は豊かな生まれ育ちなんだと思ったのだが。 違うらしい。 ちょっと調べてみたら、子供の頃に両親が亡くなり、教育は小学校までしか受けていなくて、それがコンプレックスだったという。 そうだとすると、溝口健二の“美”へのこだわりは、憧れの発露だ。 貧しい無名の陶芸家、源十郎が大きい街の市で、店に美しい着物が並ぶのを見て、妻にそれを買って帰るシーンを夢想するのは、あるいは、そんなことを夢に見ているにもかかわらず、源十郎がお金持ちのお姫様らしき若狭様という美しい女についていってしまうのは、美と富に憧れる溝口の欲望そのものの現れなのかもしれない。 そんな欲望を、映像に美しく焼き付けるのは、ひどく難しいことだと思うが。 私は、この映画を見ながら「地獄の黙示録」を思い出した。 霧の中を舟が行くからかもしれない。その行く先が、この世とあの世の境い目の場所だからかもしれない。 でも、私が感じたのは、「美学とそれを貫く執念」という共通点だ。 「地獄の黙示録」撮影中のコッポラを追った「ハート・オブ・ダークネス」というドキュメンタリーがある。あれはすごい。執念を通り過ぎて狂気だ。 「雨月物語」のメイキングがあったら見てみたい。溝口健二にもなにかそういう迫力があるんじゃないかな。 美学を貫くのは戦いだ。その執念は、回りには相当迷惑なものだったりする。 でもやっぱり、そうやって作られたものはすごいんだよね。 今、世の中には映像が溢れている。電車に乗ればドア上に映像がある。駅を出ればビルの壁に映像がある。店に入ればカウンターの上に映像が並んでいる。もちろん、家に帰ればたいていの人はテレビをつけるだろう。 だが、本当に美しい面白い心を打つ映像を、誰が作っているだろうか? 誰が求めているだろうか? いいものを見ると落ち込むなあ。 2 「雨月物語」は怪談だ。 屋敷の美しい主、若狭様は死霊だ。 主人公の源十郎は死霊に惑わされ命を落としそうになる。 だが、考えてみれば若狭様は幽霊だが、とても可哀想な女だ。 戦争で、彼女の父親は織田信長に破れた。屋敷は焼かれ、一族は皆殺しにされた。一族の姫君であった若狭様も殺された。彼女が何才で死んだのか分からないが、若狭様はまだ結婚も恋愛もセックスもしたことがなかった。 不憫に思った乳母が幽霊となって若狭様をこの世に連れ戻した。 好きな男と契りを結ぶ、愛の歓びを知るためだけに彼女は幽霊になった。 若狭様が選んだ男は、無名だが美しい焼き物を作る源十郎という男だった。売れない芸術家ってやつだ。若狭様は生前、男の作った焼き物を見たことがあったのだろう。 女は男を屋敷に呼び、男を誘い、男は女を抱いた。男は女に溺れた。 若狭様は、死んで初めて愛の歓びを知った。 だが、男には妻子がいた。男は旅の僧に女が死霊であると教えられ、逃げた。 生涯ただ一度どころか、死んで魂の彷徨う限りただ一度の恋愛に若狭様は破れたわけだ。男に裏切られて。 「すいません、おゆるしください〜」って背中に書かれたお祓いの呪文を見せながらうずくまって震える源十郎に、鬼の形相で迫る乳母と若狭様。 そりゃ、怒るわ。 幽霊が肉体を失った心が実体化したものだとしたら、源十郎は、女の心を殺したわけだ。 幽霊の恋はつらいな。命がけ、を超えている。永遠の孤独を懸けているんだから。 死んだら恋をしない方がいい。「愛は生きているうちに」ってジャニス・ジョプリンも歌っていた。 3 「雨月物語」は1953年の映画だ。 1953年って、調べてみたら「ローマの休日」の年だ。フレッド・アステアは「バンドワゴン」で“That’s entertainment”を踊っていた。 日本では、オズ・ミゾグチ・クロサワのあとの2人、小津安二郎は、おお、「東京物語」を撮っているじゃないか。黒澤明はこの年の公開作品はないようだが、前の年に「生きる」を、次の年1954年には「七人の侍」を公開している。 すごいな、この年に日本で映画ファンをやってた人。ものすごいものが、目の前に次々と出てきてたわけだ。黄金時代ってやつだ。 映画の持つ、熱、が、今とは全然違ったんだんだろうな。 でも、1953年の映画は“昔の映画”って感じがする。白黒だからっていうだけじゃない。物語の根っこにあるモラルが古くさい気がするのだ。“道徳”って言葉が頭に浮かぶ。私は「雨月物語」は、戦前の映画かと思っていた。 「生きる」の約10年後に黒澤が「用心棒」や「椿三十郎」を撮ったことを考えると、1950から1960までの10年間の、人の心の変化って大きかったんだなって思う。 三十郎は金のために人を殺すことをなりわいとしている男だ。三十郎は、カッコいい。1961,2年の「用心棒」と「椿三十郎」は今の価値観に近い。現代的だ。殺伐としている。 「東京物語」や「生きる」や、この「雨月物語」は、古いモラルが崩壊する気配を感じさせる映画のように見える。そういう時代だったのだろう。 「雨月物語」の冒頭近く、村の長らしい人物がこんなことを言う。正確ではないが。「戦のどさくさで稼いだ金なんてどうせ身に付きはしない。後で災いを呼ぶばかりだ」 ストーリーを要約して気がついたのだが、1953年というこの時期は、朝鮮戦争の時代だったんだ。“戦争で好景気”っていう不思議な設定は、そこから生まれたんだ。 戦争バブル。 映画のストーリーは人の不幸でつかんだあぶく銭に浮かれることを戒めているが、この映画自体も朝鮮半島の戦争で手に入ったあぶく銭の恩恵をいくらかは受けて作られているんだと思う。 映画はよく、こういう矛盾をかかえている。 アートとモラルは得てして折り合いが悪い。 1962年生まれの私は、「雨月物語」のテーマより、映像の方が好きだ。
by denkihanabi
| 2006-09-19 01:44
| 映画ネタ
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