カテゴリ
検索
以前の記事
フォロー中のブログ
映画・読書日記 レモ茶のお絵かき日記。 とりあえずどこかに シネマ親父の“日々是妄言” 嘆息熱気球(アーカイブ) 2+2=5 まいにち酒飲み *- Petit sou... the borderland befounddead 映画の心理プロファイル tropicalia ■■■ another unti... ◎ ○ O o 。_ 。... ::: C_i_N_E_... かたすみの映画小屋 酒の日々、薔薇の日々、本... t r a v e l ... シネマの手帖 僻眼から見た景色 スキマワード(ズ)/ni... keep going メカpanda乗りのメデ... conta備忘録 finn. ちょびまめにっき 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 03月 29日
私は映画をほとんど一人で見に行くが、たまに誰かと一緒に見に行くとその人の目で映画を見ているような感覚になって、一人で見るのとはまた別の面白さがある。
例えば、ホラー映画は「私恐いのとか血が出るのとか嫌い」って言ってる女の子と見に行くと、2倍恐くて楽しめる。見た後も恐いけどね。 「ナルニア国物語」は小3の娘と見に行った。映画をあまり見に行ったことのない娘は、敵が追ってくるシーンでは足をバタバタさせたり、戦いのシーンでは顔を半分押さえたりして、緊張して見ていた。 映像を見慣れた人間では味わえない、次のシーンが恐いっていうドキドキ感が隣から伝わってきて、私もそのドキドキを少しおすそわけしてもらった。 おかげで、子ども向けに刺激を抑えめにしているところも、やや展開がのんびりしているところも、おとぎ話らしくご都合主義なところも、ときどき人物が突っ立っているだけになってしまうところも、そんなに気にせずに映画を楽しむことができた。 監督のアンドリュー・アダムソンという名前は聞いたことがなかったが「シュレック」の監督だそうだ。ドリームワークスのVFXのスペシャリストらしい。 実写映画の監督は初めてということなのだが、そう言われてみるとこの映画はCGを駆使した実写映画というより、実写を活用したCGアニメーションと言うべき作品なのかもしれないと思う。 子ども向けの映画だが、その映像手法はまぎれもなく最先端だ。 いろんな動物や半動物が出てきて、クライマックスは動物大戦争っていう様相なのだが、どうやらあの動物たちはCGだったらしい。 「ベイブ」のときには子豚が喋るだけで驚いたが、「ナルニア」の威厳にあふれるライオンはフルCGだという。すげーなあ。半人半獣のタムナスさんは、上半身人間で下半身CG。言うのは簡単だが、どうやるんだよ? 「ロード・オブ・リング」あたりからもう、ハリウッド映画を見て合成をどうやったのかを考えるのはやめようって気になってるんだけど、それにしてもこれはすごいね。ものすごく厳しい目で見れば、まだ実写の人物とCGキャラクター(特にこの映画では毛の生えたヤツが多いのがすごく難しそう)の微妙な映像上のキレに差があることがあったりする部分もあるのだが、そんなこと誰が気にするか?作ったヤツだけだ。 オオカミがキツネをくわえてるとこもCGだったのだろうか。ビーバーはもしかすっときっと全部CG?素晴らしいのは動物系だけではない。あの洋服ダンスを覆っていた布が落ちるあの動き。あれもCGなんじゃないだろうか?理想的な布の動きなんてなかなか撮れるもんじゃない。あれはナルニアの世界に入っていくための大切な映像だ。どうなんだろう。早くDVDの付録のメイキング見てぇって思うね、これは。 今の子どもは、ものすごいものを当たり前のことと思って育っていくんだなあ。本読めよ、本。映像ばっか見てると麻痺するぞ。まじで。 子どものこういうのって、技術じゃないんだよな。そういう人なんだ、としか言いようがない勘のよさがあるんだ。才能、とも言うが子どもの才能はその後も姿を消さずにあり続けるかは分からない、絶対にここにあるものなのに永遠にあるものではない、そんなものなんだよね。 ライオンの王アスランの苦悩に気がついたときのルーシーの表情の変化、あれはすごいなあ。あれを子どもの表情で撮ろうと思わせるものが、この子にあったから撮れた絵なんだろう。 CGアスランの表情もすごいが、人間の表情もすごい。 おそらく、やがて人間もフルCGでリアルに映像化できるようになるのだろうが、俳優という商売がなくなることはないだろう。人間は人間が好きで、人間のことを知りたいからだ。 人間のやるサッカーより、ロボットサッカーの方が人気、なんて時代になったら、私は人間をやめるね。 ティルダ・スウィントンが、悪の白い魔女を演じていて、うれしかった。 似合う! カッコいい。 「コンスタンティン」に続き、この世のものならぬ中性的な強い女性、を演じて見事な存在感だった。「映画が公開されてからは世界中の子ども達から恐れられる対象になる覚悟をしていた」っていうコメントが面白かった。 合成だらけの撮影で、戦車の上に立っているだけ(たぶんあそこは立っているだけしかできないはずだ、誰だって)のシーンでも、悪の魅力と威厳を発していた。どこか冷たいセックスの匂いがするところが、子どもの世界ではすでに、悪であり誘惑的だ。 このキャスティングは、この映画の大人的な部分を担っていて、重要だったと思う。 聖書も読んだことがないので、物語の根幹にあるものについては違和感がある。 ライオンの復活は、イエスの復活をモチーフにしてるって言われても、あーそーなんだって程度だ。 4人の人間の子どもが運命に導かれて4人の王になるっていう話の基本のところも、よく分からない。なんで王様4人なの?あんな普通の子がいきなり英雄でいいの?っていうか、これを見て分かったのだが私は王様という概念が分かってないらしい。 王様って何?なんで偉いわけ?なんでそんなもんになれるとうれしいのだ?わからん。 エドマンド、バカじゃねーの、お前の顔は王様よりロックスター向きだぜ。 ロックスターは才能や努力や運でなるもんだが、王様は運命や血縁でなるもんらしい。それのありがたさがわからん。 とことん、20世紀の民主主義時代の子どもなのだ。私は。 子どもの観客を前提にして高い技術で作られたある世界観を持った映画、として比べたとき、私は「ナルニア国物語」より「ハウルの動く城」の多様性の方が圧倒的に面白く、今の時代においては優れていると思う。 「ナルニア」の持つ単純な二元論的世界観は、今の時代では、むしろ危険なんじゃないかとさえ思う。 昔からそうだ。 一番古い記憶では、自分がまだ幼稚園くらいの時に親に読んでもらったディズニーの絵本の「バンビ」だ。可愛い子鹿のバンビが、若い大人の鹿になってあらわれるページを見るたびに、私はがっかりしていた。 この映画でも、ラスト近く、王となった子ども達の大人になった姿を見せるシーンで、私は目をつぶりたくなった。 大人になった子ども達は、つまらない。子どもだけが持っている、圧倒的に可憐でやわらかくて不安定な未知の美しさを、鈍感な強さと引き替えに失ってしまうからだ。 子ども達が洋服ダンスから再び転げ出たとき、また昔のままの子どもに戻っていたことに、私は感謝した。例え彼らが大人の時間を生きた経験を持ってしまっていたとしても、魅力的な子どもには子どものままでいて欲しいと思う。 たぶん、そう感じるのは私だけではない。若死にしたロックンローラーがカリスマであり続けるのは、人々のそんな気持ちのせいだろう。
by denkihanabi
| 2006-03-29 03:15
| 映画ネタ
|
ファン申請 |
||