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2005年 12月 25日
これはカッコいい。
オープニングのタイトルバックの飛行機、レトロな歌、そこからタクシーの中のシーン、極端に黒い部分の多いモノクロの画面。 無意味にテクニカルな殺しのシーン、不可思議な体位のセックスシーン、死の天使のような真理アンヌ演じる女。みんなカッコいい。 炊飯器のご飯の炊ける匂いに発情する殺し屋っていうのが、めちゃくちゃアホくさい。 タランティーノは絶対、これ大好きだな。 DVDの特典映像に鈴木清順のインタビューが入っていて、その内容が面白かった。 この映画は製作会社の日活側から「アクションと裸だけ入っていればあとは好きにやっていい」と言われて作ったらしい。 シナリオは3部に分けて3人で分担している。第一部、宍戸錠演じる殺し屋ナンバー3の花田が活躍するアクションシークエンスは、後に「ルパン3世」などにかかわる大和屋竺が、第二部、死の天使のような女を愛して花田が崩れていく部分は、後に「ツゴイネルワイゼン」などの脚本を書く田中陽造が、第三部、殺し屋ナンバー1の男との戦いの中で花田が自滅していく部分は、後に「天使のはらわた/赤い教室」などを撮る曽根中生が、別々に書いたらしい。 そう言われてみると、確かにそれぞれの脚本家のカラーが出ているようだ。 でも、そんなやり方をすると、当然つながりがおかしくなる。 主人公のキャラクターが次々変わるのだ。初めは非情な凄腕の殺し屋。ところが、女に出会っていきなり情念の世界に溺れてしまう。そして、最後はボロボロに壊れていく。 清順監督は「まあ、あとはそれを統一すればいいわけで」なんて軽く言っていたが、物語的にはぜんぜん統一できていないように思う。 統一できているとすれば、それはビジュアルの面だけだ。 この映画は、鈴木清順の美的感覚だけでかろうじて映画になっている。その感覚がない監督がこんなことをやったら、ただのゴミにしかならないだろう。鈴木清順は一見飄々といい加減に映画と戯れているようだが、実は厳しい美意識と反骨精神の持ち主なのだ。 「これは美しい。これは醜い。」という感覚的な境界線を、はっきりと迷いなくグレーゾーンゼロで持っていて、その感覚に脚を踏ん張って「美しさ」で世界と渡り合おうとする意識、あるいはその姿勢。 辞書にはそんなことは書いていないが、そういうことだ。 「面白い。つまらない。」の間にもそんな境界線はあるし、「好き。嫌い。」にもある。 「殺しの烙印」に「STYLE TO KILL」という英題をつけたのは誰だか知らないが、本質をついたタイトルだ。 それにしても、清順の映画を見るといつも思うのだが、このカット割りのつながりの悪さはなんなんだろう。有機的につながったモンタージュで感動を呼び起こすなんてことはまるで考えていないような、むしろ、つながりを分断して刺激を生み出そうとするような編集。 トンネルでの撃ち合いや、花田と妻が部屋でセックスするシークエンスでの、人物の位置関係の不可解さは、ねらいなのだろうが、もしかしたらこの監督はつながりっていう感覚が最初からないんじゃないかとさえ思ってしまう。 ゴダールが分析的にやったことを、清純は天然でやってるように見える。 それもまた、この監督の魅力だ。 ところで、リドリー・スコットも、この映画が好きなんじゃないかな。 義眼を扱っている眼医者のシーンといい、クライマックスの姿は見えず声だけが聞こえる敵といい、それに感情のない大きな瞳でこちらを見つめる女といい、「ブレード・ランナー」的だ、と思うのは私だけか?
by denkihanabi
| 2005-12-25 00:50
| 映画ネタ
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