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2005年 12月 03日
この映画は、「ワインはどのように作られるか」ではなく、「ワインの価値はどのように作られるか」についてのドキュメンタリー。
ワインが好きな人には、とても勉強になる。少し眠くなるけど。久しぶりに映画館で眠ってしまった。 洋風居酒屋で3000円のハウスワインを飲んだり、1000円のチリワインを飲んでやっぱ最近はチリだよなとか言ったり、酒屋で特価598円のオーストラリア・ワインを買って意外とOKじゃんとか言ったりしている自称ワイン好き(俺だよ俺!)の知っている範囲のおいしいワインと、この映画で語られるよいワインというのは、全然別の物だ。 そうそう、昔、まだバブルが弾けきっていなかった頃、六本木の知る人ぞ知る的ワインバーで1杯2000円のワインを彼女と無理して飲んでたら、カウンターの隣の客が「20万円のワインを開けたので」とグラス1杯おすそわけしてくれたことがあった。私にではなく、彼女にだけ。女にだけ。 私もちらっとなめたのだが、ワインの味なんか分かるはずもなく、20万のワインこれ見よがしに飲んで俺の女に声かけやがる医者(だった)ってムカつく!っていう記憶だけ残った。 ワインには、そういう負の側面がある。 つまり、いいワインは高いのだ。 日本酒だって高い物があるが、日本酒の話をするときに「いくらの酒を飲んだ」っていう言い方をするだろうか?しない。ウィスキーだってそういう言い方はしない。ブランデーの場合は、それは酒が高いんじゃなくて飲んだ店が高いんだ。 ワインほど極端に値段が違い、格付けが厳しい酒はない。 つまり、あれはアートで、ヨーロッパの特権階級がその価値を決めてきたものなのだ。 「テロワール」という聞き慣れない言葉がでてくる。フランス語で“その土地特有の味わい”というような意味らしい。 フランスの伝統的な「テロワール」にこだわるワイン生産者と、カリフォルニアの合理的で世界戦略的な「グローバリゼーション」をかかげるワイン生産者の対立が、この映画の軸になっている。「グローバリゼーション」側はアメリカ人だけではない。強力なフランス人ワインメーカーも加担している。 おもしろいのは、この対立がフランス映画とハリウッド映画の対立そっくりなところだ。 フランスは芸術の国、フランス映画には作家主義の伝統がある。ヌーヴェルバーグが革新者のようで、実はとてもフランス的だったのは作家主義原理主義だったからだ。そこで大切なのは、その国その土地その人ならではのカラーだ。 アメリカでは映画は産業だ。ハリウッドは世界市場でくまなく消費される商品を生産しようとする。例えば、スピルバーグ自身は個性的な映画作家だが、それが世界戦略的に商品価値があると分かれば、そのプログラムを解析してコピーを量産し、その中にスピルバーグ自身までをとりこんでしまう。そしてそれを輸出する。 作家主義は予算がなく、世界戦略は大資本だ。人間生きていくためには金がいる。かくして芸術の国の人々は、次々と産業に従事していくようになる。リュック・ベッソンはその辺を、非常にうまくやってのけた監督だが、たいていの場合ハリウッド的になったフランス映画はつまらない。 ワインの世界では、そういうことがより画一的に進んでいるらしい。 とても興味深いドキュメンタリーだ。本当にワイン好きは見るべきだ。とてもいいのは、非常に切り口がドライでいわゆるスノッブな姿勢が全くないことだ。よく分からないワイン用語はほとんどでてこない。 この辺は、監督がアメリカ人であるよさかもしれない。 この映画は多分DVカムで撮られている。ビデオだ。 映像が汚い。 私は見ている間、これはワインには深い愛情があるが映画には素人な人が撮ったのかな、と思っていた。素人が撮った素材をプロが編集した、というような映像なのだ。つまり、撮影がへたくそすぎ。 でも、パンフを見たら監督のジョナサン・ノシターという人はすでに長編劇映画を2本撮っているらしい。 ってことは、あのビデオカメラぶん回しの荒れた映像は、ドキュメンタリーらしさを強調するための演出なのだ。ねらいってことだ。実際、全編その調子なので作為的な感じはしていた。本当に素人が撮っているなら、これだけの長い素材を撮る間に撮影が上達して、荒れた映像と安定した映像が混在する作品になったはずだ。 でも正直、あの手ブレ映像は疲れた。「ブレアウィッチ・プロジェクト」じゃないんだからさ。この映画の内容に、あんな荒れた映像が必要だったんだろうか?ウィンターボトムもよくこういう手法を使うが、彼の映画では手法と映像がマッチしている。ワインの映画で、あんな手ブレが必要か? ビデオをオートフォーカスで撮っているのか、ときどきフォーカスがずれて、ワインメーカーのおじいちゃんの目にいきなりズームアップしてフォーカスを合わせ、ズームバックしたらまたフォーカスがはずれる、っていう情けない映像がまるで作為的にやっているかのように繰り返し入っていたのには閉口した。 葡萄畑が全然美しく撮れてないし。これは致命的なんじゃないか? まあもちろん、その手法がドライさを生んでいた部分はある。でも、もう少し見やすくして欲しかった。
by denkihanabi
| 2005-12-03 01:46
| 映画ネタ
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