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2005年 11月 05日
この映画から学べること。
・セックスは楽しくしましょう。 ・お父さん、子供とちゃんと話しましょうね。 ・死んだり殺したりは、ダメだぞ。 すっごく大切なことだ。 「サマリア」は、それができなかった人たちの物語だ。 痛い映画だ。 とにかく、脚本も自分で書いているこの監督には、強く語りたいことがあるのだ。その言葉に共感はできなくても、それを語らずにいられない強さには打たれる。そんな映画だ。 はじめ、監督は女かと思い、それから若いインディーズ系の監督なのかと思い、でも映画の後半で、これはけっこう歳のいった男の監督かもなという気がしてきて、見終わってから調べたらキム・ギドクという監督は撮影当時すでに40才を越えた、すでに評価を得た作品もある監督だと知り、驚いた。 その年でその経験でここまで初々しい荒っぽさがあるのはすごいと思う。逆に言えば、なんでこんなにヘタクソなのか。 内容が痛い。イメージは鮮烈なのに技術的に巧くないのが痛い。予算がないのが丸見えなのが痛い。 いや、これはねらいなのかもしれない。 劇的な演技や編集は、徹底的に排除されている。 例えば、ヨジンの父親が娘を買った男の車を止めて男を問いつめるところ。車の横に棒立ちになった2人の男の切り返し。読んでいるようなセリフ。 あるいはチェヨンが死ぬ病院のシーン。ひどく安っぽい病院。ベッドがひとつに簡易な吸入器、医者と看護婦が2人。「もう長くは持たないだろう」とか説明的なばかりで緊迫感のないセリフ。 まるで自主映画のようだ。俳優たちは、ヨジンの父親を除いて、ほとんど素人なんじゃないだろうか。だが、シナリオを読んでいる人物の写っている絵を並べただけのような素っ気ない編集なのに、映画は不思議な厳しさを感じさせる。 こんな映画の作り方はどこかで見たことがある。そう、ロベール・ブレッソンの映画で。 私はよく、韓流は苦手だと言っているが、もはや韓国映画を韓流という言葉でひとまとめにしてしまうのは、間違っているな。 エリック・サティじゃ、目覚ましにはならない。そんなもんで娘を起こそうとする時点で、お父さん間違っている。それはコミュニケーションじゃない。 娘がお父さんに殺された夢を見たとき、夢の中でエリック・サティを聴かされているのは、監督がどういう意図でそうしたのかは分からないが、なんか納得がいった。 チェヨンはセックスが気持ちよかったんだろう。カラダが気持ちいいのとココロが馴染んでしまうのは、つながっている。どっちが先なのかは本人にも分からない。チェヨンがお金のために寝た作曲家はチェヨンのことを何とも思ってなかったが、チェヨンは作曲家が好きだった。チェヨンは売春をしながら、セックスだけじゃ寂しいと言って寝た男のことを知りたがった。そして笑った。 チェヨンはいい娼婦だったのだ。 ヨジンには、チェヨンのその感覚が分からなかった。 チェヨンの微笑んだような死に顔を見て、ヨジンは「笑わないで!」と言う。 チェヨンとヨジンはレズではないんだと思う。ヨジンは女の方が好きかもしれないが。 性的同一性障害、という感じではない。 父親が早く死んだり、両親が離婚したりして母親に育てられた娘は(乱暴に言うと)ファザコンになる傾向があると思うのだが、母親を失って父親に育てられた娘が、母性としての同性を求めるなんてことがあるんだろうか? 映画の冒頭でチェヨンが言う「バスミルダ」という、仏教徒にして娼婦の女。チェヨンは男たちにバスミルダのように求められたいと望んでいた。でも、バスミルダを本当に強く求めていたのは友達のヨジンだったんだ。 親友を失ったヨジンは、チェヨンが寝た男たちとひとりひとり寝ては、金を返していく。ヨジンはチェヨンが肌を合わせた男と肌を合わせることで、チェヨンに触れようとしたのか? あるいは、男たちに金を返すことで、チェヨンの人生に愛だけが残るようにしたかったのか。 男たちはコトが終わった後、私は幸せだと言う。なぜだろう。ヨジンがチェヨンとして、バスミルダとして振る舞っているからだ。チェヨンを演じているヨジンは笑うこともできる。 でも、本当のヨジンはセックスが気持ちよかったんだろうか? 「サマリア」とは、紀元前のユダヤ人の歴史に関わる言葉らしい。アッシリアという他民族の侵略を受けたサマリア地方に生まれた、ユダヤ人とアッシリア人の混血の人々は、サマリア人と呼ばれユダヤ人の中でも差別を受けたという。 それがこの映画のヨジンの何を表しているのか、つかみきれないが、ヨジンのお父さんが何度もキリスト教的逸話を娘に話すこと、でもヨジンを魅了するチョエンのバスミルダは仏教徒であること、韓国は儒教の国であることなどを考えると、ある社会に受け入れられなかった者が、その身内をまた受け入れられない、という痛々しい関係を象徴しようとした言葉のように思われる。 女子高生の売春を描いた映画としては「ラブ&ポップ」が連想されるが、あの日本映画の方がドライで空虚だったように思う。韓国はやはりどこか濃い。 「ラブ&ポップ」は後半、浅野忠信の登場で一気に違う映画に変貌するが、「サマリア」もヨジンのお父さんがヨジンの売春を知ったことから、一気に違う映画になる。そこは不思議と似ている。 恐怖のお父さん。 後半は、そういう映画だ。 ヨジンの父親は、娘の売春を知ってから最恐のストーカーになる。刑事である父親は尾行はお手の物だ。娘を買おうとやってくる男たちを脅し、追いつめ、自殺に追いやり、ついには殺してしまう。 ところがその間、父親は一言も娘に売春のことを尋ねたりしない。会話のない親子ではない。でもその話はできない。 父親は娘を女として愛している。だがそれはセックスをともなう愛ではなく、精神的な至高の愛でなければならない。ヨジンの父はそう信じているようだ。妻を失った彼にとって娘はほとんど信仰の対象で、そこに精神性を伴わない行為が浸食してくることは、許せないことだったのだろう。 お父さん、全身全霊の愛を娘に注いではいけません。変な言い方に聞こえるかもしれないが、だってそんな愛は結局自己愛の裏返しなんだから。 ラストには、ほっとした。 監督、危ないところで、大人である。 最初に書いた、3つのこと。 ・セックスは楽しくしましょう。 ・お父さん、子供とちゃんと話しましょうね。 ・ 死んだり殺したりは、ダメだぞ。 3つまとめると、こういうことになる。 ・ っていうか、笑えよ。 トラジティックに物事をとらえるのは、気持ちいいかもしれないが、ロクなことはない。一応、これは私が40数年生きてきて学んだことのひとつだ。 ああそうそう。 最後に、私の好きな言葉をひとつ。 「すべてのパンクスよ、笑え。」 by Joe Strummer (THE CLASH)
by denkihanabi
| 2005-11-05 23:17
| 映画ネタ
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